エッセイ一覧へ戻る

世界の人口順位で、日本が12位になったというニュースが流れた。

「人口減少」という言葉がメディアに躍るたび、世間にはどこか、縮小や衰退といったネガティブな空気が漂う。しかし、本当にそうだろうか。

近隣の韓国に目を向ければ、人口は約5,100万人。日本はその2倍以上の、1億2,000万人を超えるマーケットを今なお維持している。これまで訪れた国々の多様な経済の姿を思い返しても、日本が持つこの「1億人超の均一で購買力の高い市場」というのは、世界的に見れば依然として、信じられないほど巨大で恵まれた土壌だ。

また、世界に目を向ければ、洗練された文化や老舗ブランドを持つヨーロッパの国々の多くは、実は日本の半分以下の人口しか持たない。フランスやイタリアは日本の半分程度、北欧の国々に至っては東京都やひとつの県と同じくらいの規模だ。

量的拡大のゲームが終わった後に訪れるのは、衰退ではなく「成熟」のはずだ。日本には、十分に質の高い経済活動を行えるだけの巨大な土壌が、まだしっかりと残されている。

それなのに、なぜ国内の空気はこうも重いのか。

原因のひとつは、私たちの「安心」を支える仕組みと、生活者の実態とのアンバランスにある。消費税が上がるたびに消費が冷え込むのは、単に使えるお金が減るからだけではない。北欧のように「払った分だけ、生きるための福祉や子育ての安心として戻ってくる」という確信が持てないからだ。さらに、社会保障費の改定や各種控除の見直しなどが重なり、気づけば手元に残る可処分所得が緩やかに目減りしていく。こうした実質的な負担増が、生活者の防衛本能を刺激する。結果として、人々は将来への不安から財布を閉ざし、資本主義の恩恵は一部に偏ったまま、全体の豊かさへ還元されない悪循環が続いている。

だが、この閉塞感を突破する鍵は、国や制度の変革を待つことではなく、私たちの「消費の選別」にあるのではないだろうか。

これまでの日本は、購入し、消費すること自体が目的の経済だった。しかし、モノが完全に行き渡った現代において、単なる「購入」をスタート地点にするビジネスにはもう無理がある。

これからの経済を動かすのは、恐怖や不安ではない。個人の「熱量」だ。

世中心を見渡せば、売りつけるために「恐怖心やリスクをあおる」マーケティングが溢れている。また、人間には「損をしたくない」という強烈な防衛本能があるため、安売りに人々が群がるのも同じ心理からだ。しかし、不安や損得勘定だけで選んだモノやサービスは、手に入れた一瞬の安堵をもたらすだけで、私たちの心をイキイキとはさせてくれない。

本当に豊かな社会とは、誰かが何かに夢中になっている社会だ。

自分の好きなもの、心地よい空間、応援したい人、大切にしたい時間。その熱量の仕向け先は人それぞれでいい。大切なのは、受動的に「買わされる」のではなく、主動的に「自分の熱量を育てるためにお金を使う」という選別を行うことだ。
夢中になれるものを見つけ、そこに命(時間とお金)を燃やすこと。それこそが、人がイキイキと暮らすということであり、その選択の連鎖が、結果としてこれからの時代の経済を回していく。

「経済のためにどう生きるか」ではなく、「どう生きるか、その手段として経済をどう使うか」。

私たちは今、そんな精神的な豊かさを基準にした、新しい成熟 of 時代を生き始めている。自らの熱量を信じて選んだ一歩が、きっと、これからの社会の美しい景色を作っていくはずだ。

(文/山田郁二)