2026/7/14
経営において「環境変化に合わせて自らを変容させなければ生き残れない」という言説は、もはや鉄則となっている。チャールズ・ダーウィンの「最も強い者が生き残るのではない。最も変化できる者が生き残るのだ」という言葉は、その象徴としてあまりに有名だ。
日本人は元来、保守的で変化を嫌う傾向があると言われる。だからこそ、「変える」という言葉は常に能動的で、前向きな響きを持って響く。業績が振るわなければ「顧客ニーズに応えるため、もっと変わらなければならない」という指導が、正論として飛び交うことになる。
しかし、私はこの「変える」という言葉が、まるで魔法の掛け声のように使われる場面に遭遇するたび、拭いきれない違和感を覚える。
本来、現状に課題があるのなら、まず要因を突き止め、あるべき姿に近づけるために「何を、どう変えるか」という具体的な設計図が必要なはずだ。ところが、あるべき姿を提示せぬまま「変えなければ」という言葉だけを連発する人々がいる。
彼らにとって、この言葉は「自分は改革に積極的で、全体を考えている」と周囲に思わせるための便利なツールと化しているのではないか。方向性を示す実力がない者が、リーダーであると錯覚させるための免罪符。それが「変える」という言葉の正体であることがある。
また、現状に不満を持つ層にとっても、この言葉は都合が良い。現状を「仮想敵」に仕立て上げ、「今のままではダメだ」と否定から入ることで、自身の主導権を握ろうとする。そこには「何を・どのように・どの程度変えるか」という本質的な議論は不在だ。ただ現状を否定し、仮想敵を叩くための主語として「変えなければ」が消費されていく。
環境変化に対応するとは、まず冷徹な現状把握を行い、その上であるべき姿を共有することから始まる。「変えなければ」という焦燥の言葉ではなく、「こうなりたい」という意思の言葉が先に来るべきなのだ。
(文/山田郁二)