近頃の空模様を見ていると、自然の猛威と変わりゆく気候の激しさに言葉を失うことがある。秋雨前線が熱帯低気圧に刺激され、各地で線状降水帯や激しいゲリラ豪雨が頻発している。ほんの短い時間の間に、街の排水処理能力をはるかに超える雨が叩きつけられ、逃げ場を失った水があっという間に溢れ出して浸水被害を引き起こす。都市機能の限界と脆さを突きつけられる瞬間だ。
そんなニュースを追うなかで、ふと福岡県の柳川という街の成り立ちに思い至った。
柳川といえば「水郷の街」として知られるが、もともとは有明海の干拓や低湿地に拓かれた土地であり、海抜が低く水が滞留しやすい過酷な地理的条件にあった。満潮になれば海面が陸地より高くなり、外へ水を流すことすらできない。放っておけば真っ先に水害に呑まれる宿命を背負っていた場所だ。
しかし、先人たちはその宿命から逃げ出すのではなく、市街地の隅々にまで網の目のように水路――「掘割」を張り巡らせた。その総延長は実に約九百三十キロメートルにも及ぶ。
この掘割が何をもたらしたかといえば、街全体を巨大な遊水池(天然のダム)に変えてしまったことだ。急な豪雨が襲ってきても、網の目状の水路がその雨水を懐深く抱え込む。一本の大きな川だけで押し流そうとすれば堤防はひとたまりもなく決壊するが、無数の迂回路へと水が分散されることで、水流の勢いは穏やかになる。さらに、満潮の間は掘割全体で水を一時的に溜め込み、潮が引いたタイミングを見計らって水門を開き、海へと逃がす。
自然の脅威を力ずくで押さえ込むのではなく、受け止める「器」をあらかじめ幾重にも広げておくことで、激変のなかでも破綻せずに生き残る知恵がここにある。
この柳川の掘割の構造を見つめていると、それはどこか、人間の生き方そのものにも重なって見えてくる。
人生を歩むうえで、何事も滞りなく、一本調子で順調に進んできた人がいるとする。それはまるで、真っ直ぐに整備された一本の大きな本流のようなものかもしれない。平時においては流れが速く、効率的で、誰の目にも頼もしく映る。しかし、そうした順風満帆な歩みしか知らない器は、人生における「想定外の豪雨」――突発的な逆境や、理不尽な重圧に見舞われたときに脆さを見せることがある。逃げ場のない負荷が一気に堤防へと押し寄せ、許容量を超えた瞬間に心が決壊し、パニックに陥ってしまうのだ。
一方で、人生において様々な壁にぶつかり、挫折を味わい、紆余曲折を重ねてきた人はどうだろうか。
進もうとした道を行き止まりに阻まれるたび、人はやむなく脇道を掘り、遠回りを強いられる。思い通りにいかない現実に頭を抱えながら、別の逃げ道や迂回路を探し、試行錯誤を繰り返す。その渦中にいるときは「なぜ自分ばかりがこんな苦労をしなければならないのか」と理不尽を呪いたくなるものだ。
だが、そうやって刻んできた遠回りや葛藤の跡こそが、実はその人の心の中に築かれた「網の目の掘割」なのではないだろうか。
壁や挫折を乗り越えるたびに、心の掘割は枝分かれし、深く広がり、全体としての受け止める許容量(キャパシティ)を増やしていく。だからこそ、後になって予期せぬ無理難題や苦難が降り注いだとしても、決して慌てふためくことがない。
「いまは満潮だから抗っても仕方がない。まずはこの水路に溜めておいて、潮が引くのを待とう」
そうやって時間を味方につけ、重圧をいくつもの迂回路へと分散させながら、冷静に対処していく胆力が生まれる。かつて流した汗や涙の迂回路が、いざというときに自分や周りの人を守る防波堤となり、天然のダムとなって機能しているのだ。
掘割は、ただ掘っておけば良いというものでもない。柳川の人々は定期的に水を抜き、底に溜まった泥を掻き出す「堀干し」を何百年も続けてきた。私たちの心も同じだろう。困難を乗り越えて器を広げたとしても、日々のなかで傲慢さや余計なプライドという泥が堆積してしまえば、いつの間にか心の深さは失われてしまう。時折立ち止まり、自分の内側をさらけ出して泥をさらうような内省があってこそ、その広がりは生きた器であり続けられる。
効率やスピード、最短距離ばかりがもてはやされる現代だ。しかし、人生における寄り道や苦難は決して無駄なロスではない。
激しい雨風が吹き荒れるこの時代だからこそ、無数の曲がり角を抱えた自らの心の掘割を愛おしみ、そこに蓄えられた深みを信じて、どっしりと構えて歩んでいきたいものである。
(文/山田郁二)