2026/6/18
昨今、ビジネスの現場で「タイパ(タイムパフォーマンス)」という言葉を耳にしない日はない。効率を追い求め、最短ルートで成果を叩き出す。それ自体は心地よく、スマートな手法に見える。
しかし、組織を動かし、事業を永続させるという地平に立ったとき、私はこの「タイパ」という響きに強烈な違和感を抱かざるを得ない。一足飛びに飛べない現場を揶揄し、即効性のないプロセスを「無駄」と切り捨てる。その効率主義の裏側で、どれほど多くの人間が疲弊し、組織の土台が痩せ細っているか。その死角に気づいていないリーダーがあまりにも多い。
かつて、私の知る経営者は、じっと「我慢すること」ができる人だった。
それは単に気が長かったからでも、優しい人だったからでもない。ビジネスの本質が「人と人との泥臭い関係性の積み重ね」でしか成り立たないこと、そして「人間は失敗し、悩みながらしか育たない」という冷徹な現実を、身をもって知っていたからだ。人が育つのを待つという時間は、短期的・数値的な目線で見れば、確かに「タイパが悪い」。しかしその経営者は、その時間の引き換えに、目に見えない巨大な資産を買い続けていたのだと思う。
「待ってもらった」という時間こそが、社員の心に会社への愛着や信頼を育む。その恩義が、やがて長期的な組織の強さという「最大のパフォーマンス」になって返ってくる。それは、目先の数字だけを追うタイパ主義では逆立ちしても手に入らない、本質的なエンゲージメントである。
「正解」を教え込み、機械のように動かすのは容易だ。だが、それでは人は育たない。不器用な試行錯誤を認め、飛べるようになるまでの時間をじっと耐える。この「待つ」という行為は、決して甘やかしではない。目先の非効率という「痛み」を引き受け、未来の組織にベットする、リーダーとしての立派な「決断」であり、投資なのだ。
最短ルートで相手を従わせようとするのは、機械のやり方だ。
どれほど時代が変わり、効率化の波が押し寄せようとも、人間が人間を育てるための「しつけの時間」だけは省略してはならない。利便性と引き換えに、私たちが信じて「待つ勇気」まで退化させてしまわないために、この泥臭い経営のバトンを、私は次世代へと繋いできたい。
(文/山田郁二)