過日、仕事仲間と他愛のない雑談をしていたときのことだ。ふと彼が口にした、実家での昔話が妙に心に残っている。
庭にある大きな石を処分しようと、彼のお父さんが庭師に「この石はもう要らないから退けておいてくれ」と頼んで外出した。ところが石はあまりに重く、庭師が一人で奮闘してもびくともしないまま夕方を迎えてしまう。
帰宅したお父さんは、庭にまだ居座る巨石を見て「どうして退けられなかったんだ?」と尋ねた。庭師が「重くてとても動かせません」と答えると、お父さんはおもむろに、その庭師の脇腹を指先でくすぐったのだという。
突然のことに驚き、身をよじって飛び退く庭師。それを見たお父さんは、ふっと笑ってこう言った。
「くすぐると動くだろう。石にだって、くすぐったい所がある。そこをくすぐるんだよ」
そう言いながら、石のわずかな隙間にすっと棒を差し込み、テコの原理を利かせて大石をごろりと動かしてみせた。「石のくすぐったい所はここだ」と言わんばかりに。
話を聞きながら、随分と久しぶりに「くすぐる」という言葉を聞いた気がした。最近の日常会話ではあまり耳にしなくなった響きだが、改めて噛みしめてみると、実に奥が深い。
語源を辿れば、「くす(奇・霊)」と「くる(抉る・探る)」が合わさった言葉だという説がある。目に見えない不思議な衝動を内側からかき乱す、あるいは身体の入り組んだ隙間にすっと入り込み、急所をかすめる。
そして漢字で「擽る」と書くように「くすぐる」という感覚には、どこか愉快で、思わず吹き出してしまうような楽しさが必ず伴っている。
このことは、私たちが日頃向き合っている商いやものづくり、販売促進のあり方にもそのまま重なるのではないだろうか。
「売ってやろう」「買わせてやろう」と鼻息を荒くして正論を並べ立てるのは、動かない巨石を正面から力任せに押しているようなものだ。外から強い圧力をかけられれば、人は誰しも身構え、心を硬く閉ざしてしまう。
本当に人を動かすのは、力任せの説得ではない。その人の心の隙間にそっと入り込み、クスッと笑わせたり、好奇心を掻き立てたりする「楽しさ」のアプローチだ。
身体のどこが急所かは人それぞれ違うように、人の心がどこで心地よく反応するかは、相手の暮らしや感情をじっくり観察していなければ見えてこない。「ここをそっと突いてあげたら、思わずワクワクして動きたくなるんじゃないか」。そうやって相手の顔を思い浮かべながら、心のくすぐったい場所を探すことこそが、企画の原点なのだと思う。
外からの力で無理やり動かされた石は重苦しい余韻を残すが、くすぐられて思わず動いてしまった体には、愉快な笑いが残る。
「買わされた」のではなく、「楽しくて自分から動いてしまった」。
相手の心を心地よくくすぐり、自発的な一歩を引き出すこと。力まない商いの本質は、あのお父さんが庭石に差し込んだ一本の棒の中に、すべて詰まっているのかもしれない。
(文/山田郁二)